インタビュー
「株式会社 木村板金工業」

代表取締役社長 木村 孝貴

メンテナンス事業について

では続いてメンテナンスの方のお話を聞かせていただきたのですが。あの事業も、もともとは本社がこの地域にあって、それが日本全国といういわゆる地域に広がって、という地域貢献だとみてもよろしいでしょうか。

 今はね、世界にもあるんですよ。海外にも一号店ができてね。

すごい。海外進出されていたんですね。
まさに、地域の単位は世界だと考える社長の、地域貢献を実現する事業ですね。

 もう戦略的には日本という地域を超えて世界戦略ですよ。
そのメンテナンスを行っている会社の社長も、今の店舗形態をアメリカに行って学んできたそうです。日本にもこれからはこういうホームセンターができてくるだろうといって、日本で最初にはやりはじめて、これからは海外、アジア進出です。
その会社の先代、もう亡くなられましたけれど、その方が何度もアメリカに足を運んで、これから日本もこうなるんだと。ですから、今でもアメリカのホームセンターと交流があって、年に何回かちゃんと見てもらって、管理してもらって、すごい繋がりですよ。

そのメンテナンスをこの事務所で、今は日本全国1200~300、これからは海外の店舗まで広がっていくのでしょうか、全部を管理されている訳ですね。
各地域店舗のメンテナンス依頼がその会社の本部に集まって、本部に集まったものがそのままこの事務所に横滑りして来る。でもそれは、そもそも地域のコミュニティの一つとして存在する店舗なので、地域貢献という観点からは、その地域にある専門工事業者さんによってメンテナンスが行われているということですね。

この仕組みも10年以上になりますか。最初の一件目って覚えていらっしゃいますか?

 もう20年近くになりますね。当時のことは今でもよく覚えてます。
まだこの事務所を建てる前だったかな。本部から1本電話がきて、ここから10km20km離れている店舗の雨樋が壊れてるので直してもらえますか、というのが最初の一件目。
20年前ですから、その当時はゼネコンからもらう仕事ばっかやってたんで、そんな遠くまでわざわざ行かなくても、近いところでみんな仕事は完結してたんですよ。
でも、ちょっと離れたけど行って行けなくもないですよって言ったら、じゃあ依頼書を送るんで来てくださいって言われて、A4の一枚の紙が送られてきたんですよ。
今の依頼書の原型みたいな、もっと簡素なやつでしたけど。
それを持って行って、当時から多少はパソコンなんかも使ってたんで、デジカメの写真を撮って、こんな状態で傷んでいますけど直すのはこれくらいお金かかりますって、報告書をメールで送った。そうしたらすぐに直してくれって依頼が来たんで、直しましたよってまた写真撮って、報告書作って、請求と一緒に送って。

20年前、最初の一件目から、現場の状況確認とその見積書と、現況の写真と報告書と。終わったら、結果の写真と報告書と、請求書と、今のシステムの原型のようなものをやられていたんですね。

 最初は雨樋一本直すだけだったんで、2万円しないような、そんなお金だったかな。
それから何日かして、近所のホームセンターを直してくださいとか、支店を直してくださいとか、ちょこちょこ依頼がくるようになって。
それでいよいよ、仕事も来るので本社へ挨拶に行かなくちゃいけないかなってことになって、挨拶に行ったら、そこから県内全域行けるかと聞かれて、行けますよ。1年もしないうちに県外まで行けるかと聞かれて、行けますよ、という話になって。
その時に丁度マドックさんとお付き合いしていて良かったのが、ちきゅうにやさしい施工研究会LLPのみんなにお話しができて、助けられたんですね。
全国の板金屋さんとのお付き合いで話を進めさせていただいて、どこの県でいけますよってなって、いま全国のホームセンターのメンテナンスを任せてもらえるようになっていったんですよ。
毎月その本社へ報告に行くんですけど、当時からいる人がもう60なんだけど、私が定年になるまでいてくださいねって、冗談まじりに言っていますよ。それだけその会社にとって大事な部分を任されているので、その約束を果たさなきゃいけないよね。

恥ずかしながら、会社の理念はお聞きしていましたし、メンテナンスのお話しもお聞きしていたのですが、それが地域貢献という思いの元に一致していたことを、いま気付きました。
一店舗から始まって県の範囲に広がり、今では全国、今後はアジア圏全域まで。貢献の対象地域はそこまで広がって、ゆくゆくは世界も視野に入ってきますね。

 私が思ってた地域と全く一緒ですね。地球っていうね。
それでも、緊急の仕事ばっかりなんで、やっぱり県外なんかは苦労もありますよ。
今日ここから千葉まで飛んで、朝9時から店長とお話をして、直して、その日に帰ってくる。
今でもたまに自分で行きますけど、この年になって長距離というのはこたえますよ、本部には言わないけどね。
新潟の端っこから端っこまでは300km近くはありますからね。ここから300kmといったら、もう東京の近くまで行っちゃいますから、これは自分で行かなくちゃっていうやつは、自分でいってしまいますね。

 メンテナンスとはいっても板金屋さんじゃないような工事も結構あるんですようね。どこに頼んだらいいか分かんないような工事とか、普通に頼んだらすごく高いようなのを直したりとか。
この前も花巻までとんぼ返りで行ってきたんだけど。それは地域の板金屋さんに頼んだんだけど、工事をするには建設会社のような、そういう知識がないといけなかったので、写真を送ってもらって、その板金屋さんと現地で打ち合わせして、応急処置をしていただいた。そういう時は、じゃあこれこれこういう見積りにしてくれってやり取りして、中には意外と大きな仕事になることもあります。

社長は板金業の経営者でいらっしゃるんですけれども、その枠に囚われてらっしゃらない。
そういうところも勉強やチャレンジといったキーワードにつながってくるのかも知れませんね。経営者として、もちろん職人さんにも、板金の勉強もそうですが、建築・土木の勉強も必要で、ある問題を解決するために今までの知識ではどうにもならない、となければ、それは板金屋の仕事じゃねぇって言ってしまうのは簡単なんですけど、あえてそこでチャレンジする道を選んでみる。
面白いと思うんですけどね。仮にそれが板金屋さんの仕事の範疇であっても、どうやってこれを解決しようかとか、いろんな調べ物とか、勉強して考えて。もちろんそれで確信が得られるとは限らないんですけど、どんな仕事にも何%かの挑戦というところもありますから。

 ですから、そういう新しいことをする時には、従業員さんを連れて一緒に現場に行って、指示しながらやるようにしている。板金屋の仕事はもちろんのこと、それ以外の板金屋じゃない仕事もたくさんやってもらってるから、彼らにとってはいい経験だと思いますよ。
やればできる。何とかなる。
絶対解決策はあるはずだから。
そういう経験値って、お金じゃない、大事なことじゃないかなと思います。

経験値は、挑戦、チャレンジしたからこそ身に付くものなので、まさにこれから求められる、いわゆる多能工と呼ばれることを、実践を通じて教わっている訳ですね。

 彼らもそうだけど、いま全国でやってもらっている方々にもう、そういうことをお伝えして、これやればできるから直してくださいって、板金工事じゃないけど、違う材料なんだけど、これを使えば直りますよとか教えてる。
雨漏りの修理って板金工事だけじゃなくて、天井ボードの交換とかもあるじゃないですか。最初の頃はうちの仕事じゃない、できないって言われてましたけど、ボードは現地に売っているし、ビスも売ってる。
ビスは打てるんだから、一回やればできるんですよ。板金屋だからといってできない仕事じゃない。
雨漏りは直してくれたけど天井のシミが残ってると、お客様からするとそれは完璧じゃない。キレイにしてくれて良かったと思ってもらえると、足場とか脚立とか他にもあれやこれやかかったものも請求できるじゃないですか。雨漏りで5万出して直すのに8万かかったんだったら、じゃあ13万の仕事になる。同じ日で完結するんだから。
雨漏り直しにいって、屋根の雨漏り直して、天井はシミのボート直して、完璧じゃん。

全国の板金屋さんにお願いして、社長自ら走っていただく、それはそれで有難いことなんですが、本当は、従業員さん職人さんにやっていただきたい仕事なんですよね。そこに挑戦して達成して経験値にするというオプションとして、そこの従業員さんに実感していただきたい。板金職人としての既定成長路線の他にも、職人さんとしての違う世界が広がる。そこには別の新しい成長路線があって、そこに挑戦することができる。
軽天や塗装、タイル、あなたの可能性は無限大ですよって。私が、あと何年この仕事をできるか分かりませんが、若い職人さんに伝えていきたい事ですね。

 今度また、ここから150kmくらい離れたところのホームセンターに行くんだけど、加工してるの見たら板金材を折ってそこにラッピングフィルムを貼ってましたよ。
フィルムシートを貼る業者さんもいらっしゃいますけど、みんなうちの従業員でやりますよ。したいという気持ちさえあれば、今は何でも調べられるんでね。
私自身も板金以外の仕事もやってて楽しいと思うし、従業員もチャレンジして楽しいと思ってやってますよ。

何でもこいですね。楽しいイコールやりがいですから、楽しいと思ってやってもらえるのは、経営者冥利に尽きますね。

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